〈忘れない〉は終わった出来事に言うことば 東電福島第一原発事故はまだ何も終わっていない あの日から10年つづき、この先もつづいていく これは遠く離れた だれかの物語ではなく、あなたの話 やり過ごさないこと、考えつづけること 〈忘れない〉の代わりに 東京電力福島原発事故の背後には、一人ひとりの人生があります。原発事故が起きてから、この10年を生きてきた一人ひとりの「記録」は、二度と同じ過ちを繰り返さないために、私たちを繋いでくれるように感じます。 『写真と証言で綴る12人の10年 福島の記録』では、福島を生きる12人の方々、福島を経てこれからを見据える6人の専門家にお話をお聞きしました。福島県浪江町の菅野みずえさんの記録の一部を、ご紹介します。 原発から菅野さん宅は約 27キロ。12日の夜までは、安全圏だと考えていた。その日の夕方、菅野さんは、防護服にガスマスクで完全装備をした調査員と思しき男性に、車越しに「ここからすぐ逃げてくれ」と忠告を受ける。また、その夜に、原発から半径 20キロ圏に政府の避難指示が更新され、危機感が募り、菅野さん宅に避難してきた人々へさらなる避難を促した。中には乳幼児もいた。「子どもだけでも一刻も早く逃して」と菅野さんが言い、翌日には全員散り散りになって逃げた。ガソリンが尽きるところまで逃げよう、と。 菅野さん自身が避難したのはその三日後だった。津島地区には公式な避難命令は出ておらず、大半の住民がまだ残っていた。避難について話すと、あの原発が危ないわけがない、と反論する人もいた。家族が避難所の手伝いもしていたため、結局町が全町避難を決断する 15日まで留まっていた。 「東京電力は大企業として万が一の備えを当然しているのだろうと、思っていました。『いかなる災害にも耐えうる』と地域住民には説明がされていましたから・・・」 グリーンピース・ジャパン 気候・エネルギー担当 鈴木かずえ P.S. 菅野さんのように、原発事故で突然故郷での暮らしを奪われ、いまだに帰ることができない方々は、少なくとも36,000人います。除染をしても、すべてを元通りにすることはできません。私たちに今できる大切なことは、悲劇が起きたことを<忘れない>だけでなく、行動することだと思います。被害を受けた方々の暮らしを支え、二度と悲劇を繰り返さないように原発から撤退するように、署名で政府に伝えませんか? |
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